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執筆者の写真ネカフェ難民シンイチ

【貸本劇画家たちの牙城】日の丸文庫の興亡




日の丸文庫。かつて貸本劇画短編集「影」を刊行し、辰巳ヨシヒロ、松本正彦、さいとう・たかを、佐藤まさあきといった劇画系の先生方の牙城となった同出版社について、ご存知でしょうか。今回は、そんな「日の丸文庫」について振り返っていきましょう。



◉「日の丸文庫」の草創期


 日の丸文庫は、1951年天理大学外国語学部を卒業した、山田秀三が弟の山田喜一氏と共に創業した出版社です。創刊当時(51年)の東洋出版社から、53年には八興、57年から光映社、最終的には光伸書房と社名を変えていくこととなります。

 貸本屋は、1955年あたりから急速に増え始め、子供たちの読み物は粗悪な紙に印刷された「赤本」から「貸本」へと移っていきました。ちょうど月刊少年誌「少年」「少年画報」などが勢いがあり、こうした雑誌群も取り扱ったことも、貸本屋の隆盛と関係すると思われます。


 当時、そうした貸本屋で取り扱われることを専門としたまんがを刊行していた出版社といえば、赤塚先生をデビューさせたことで知られる「曙出版」や、原稿料の不払いで水木先生をブチギレさせた「兎月書房」、怪奇・ホラーまんがで知られる「ひばり書房」、日の丸文庫と袂を分かった赤本作家・久呂田まさみ先生が、社長を口説いて創業した「セントラル文庫」などがあります。中でも「セントラル文庫」は、「日の丸書房」のライバル出版社であり、57年貸本まんが短編集「街」を刊行。これがヒットして、劇画の発展に大きく貢献します。



◉「影」と劇画家たち


 56年、貸本まんが短編集「影」を刊行。久呂田まさみ先生を顧問に加え、辰巳ヨシヒロ、松本正彦、さいとう・たかを、佐藤まさあきといった先生方をデビューさせていた「日の丸文庫」は、絶頂期を迎えました。「街」「影」は、貸本まんがを代表する短編集となります。

 一方、「影」のヒットで勢いをつけた日の丸文庫は、横山泰三らの単行本化が失敗に終わり、多額の負債から最終的に有価証券偽造罪で創業者山田秀三氏が逮捕。57年2月に八興出版が倒産とジェットコースターのような展開を迎えます。この間に、久呂田まさみ先生のセントラル文庫に辰巳ヨシヒロ、松本正彦、さいとう・たかをの三名を引き抜かれてしまいました。


 57年、日の丸文庫は新たに光映社を設立し、「影」の月刊化や、平田弘史先生をデビューさせた時代劇短編集「魔像」を出し、見事貸本漫画の一線に返り咲きました。

 また、同57年「街」12号掲載の作品辰巳ヨシヒロ「幽霊タクシー」にて、「劇画」という呼称が初めて使用され、59年には辰巳ヨシヒロ、、、ら先生方によって「劇画工房」が設立。「漫画は子供が読むもの」をという風潮を打ち砕き、青年まんがの走りとなります。



◉日の丸文庫のまんが雑誌


 日の丸文庫は貸本短編集の見ならず、まんが雑誌も刊行していました。63年創刊の少年まんが誌「マンガサンキュー」、65年にはサンキューから改題創刊された「マンガジャイアンツ」を創刊。「ジャイアンツ」という誌名からもわかる通り、同誌は野球まんがを中心に連載。水島新司先生が、同誌にていち早く少年野球まんがを手がけています。


 67年の「漫画アクション」(双葉社)「ヤングコミック」(少年画報社)68年の「漫画ゴラク」(日本文芸社)「プレイコミック」(秋田書店)そして「ビッグコミック」(小学館)と青年まんが誌の創刊ラッシュが起こっていた中で、67年には「影」を発展させた形で「劇画マガジン」(日の丸文

庫・光伸書房)が創刊されています。同誌は次第にエロ度を

増していき、完全なるエロマンガ誌に。大手の参入により、中小出版社にはエロという道しか残されていなかったのかもしれません。表紙はサイケでハードボイルドで、かつグラフィカルです。


 68年刊行の「ごん」は、「ガロ」(64年/青林堂)「COM」(67年/虫プロ)に続く第3の雑誌を目指した実験誌です。「劇画マガジン」のあとをついだ雑誌でもあるようで、ハードボイルドな貸本劇画調の作品が一定数ありますが、もとやま礼子先生など女流作家もいらっしゃるなど実験まんが誌のジェンダーレス性も垣間見えます。「劇画マガジン」は6号、「ごん」は4号で終了してしまったようです。



◉貸本劇画の終焉と「日の丸文庫」


 テレビの普及、娯楽の多様化、そして「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」の創刊(59年)があり、60年前後より貸本まんが出版社は窮地に立たされました。62年には兎月書房が倒産。同62年、ライバルであったセントラル文庫も貸本まんがの出版を中止し、横山まさみち先生の単行本を刊行するも64年に終了。日の丸文庫も70年代初頭まで奮闘するも出版社としての幕を閉じ、最終的に怪奇・オカルトものでブランディングに成功したひばり書房などを除いて、ほとんどが出版を終了する形となってしまいました。

 貸本まんがは67年ごろに終焉を迎え、作家たちの一部は「漫画ゴラク」「ヤングコミック」「プレイコミック」といった青年誌、「ガロ」や「COM」といった実験誌、「少年サンデー」や「少年マガジン」といった雑誌に、居場所を移していきます。内田勝編集長就任以降、劇画系の作家を中心に起用し、60年代後半、週刊少年マガジンは黄金期を迎えたわけですから、そんな劇画家の牙城となった貸本まんが出版社「日の丸文庫」の功績も見逃すわけにはいきません。


 伝説の貸本劇画短編集「影」を刊行し、辰巳ヨシヒロ、松本正彦、さいとう・たかを、佐藤まさあきら劇画系の先生方をデビューさせたほか、初期の平田弘史先生や水嶋慎二先生も寄稿し、その後も青年まんが誌(エロい)や、実験まんが誌など奇抜な雑誌を刊行していった「日の丸文庫」。そんな時代を彩った中小出版社の魂は、今もあなたの中で生きています!!

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