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麗しの実験まんが誌たち①

執筆者の写真: ネカフェ難民シンイチネカフェ難民シンイチ

更新日:2023年12月16日

終戦後、露天商から始まり、現代では日本を代表する文化となったまんが。

メジャー出版社から何百万部発行と、モンスター雑誌が生まれていく中で、常に実験精神を忘れず、数万部から数千部程度の小規模出版を続けた雑誌がありました。

今回はそんな「実験まんが誌」をいくつか見ていきたいと思います。



・まんがの実験精神の始祖「ガロ」と「COM」

 まずマイナー系雑誌の源流として、「ガロ」と「COM」が挙げられます。60年代、「ガロ」は、白土三平先生の「カムイ伝」を長期連載とする一方、つげ義治、林静一などの短編の名作を生み出してきました。一方、「COM」は、手塚治虫先生の「火の鳥」を長期連載とし、石ノ森翔太のファンタジーワールド「ジュン」、永島慎二先生の「フーテン」など、実験的な作品を掲載。後のまんが文化、サブカルチャーに大きな影響を与えました。

「ガロ」は、カムイ伝の第一部が終了し、70年代中頃からは南伸坊氏、渡辺和博氏らによる「面白主義」へと雑誌の方向性を変異させていきました。「COM」は同年12月で、発行を中止。73年に一度だけ新号が出るも、そのまま虫プロが潰れ、終了となってしまいました。




・「ガロ」や「COM」を目指した第3の実験誌「ごん」


 

 そんな「ガロ」「COM」に続こうとした実験まんが誌が、60年代にすでにありました。

「ごん」は、68年光伸書房から創刊。光伸書房とは、劇画工房系の作家を数多くデビューさせ、青年漫画雑誌のハシリとなる短編集「影」シリーズを大ヒットさせた、日の丸文庫の後の名称です。

表紙には、「ずばり、あしたの漫画」と、60年代後半の潮流をモロに受けています。

掲載作品は、沼田清「ふりむいたやつがいた」、関一彦「ジュン」(石ノ森先生のジュンから来ている)など

ハードボイルドな貸本劇画調は、日の丸文庫の貸本劇画の流れにあります。「あした」を漢字でないだけどっかのハイジャック犯よりはマシだったり、良さげな雰囲気はある?のですが、結局かつての貸本劇画の+α(あるいは−)の域を出なかったためか、同68年中に休刊となってしまいました。




・面白主義以前のガロを目指した「夜行」



72年 北冬書房から刊行されたのが、「夜行」です。同年に青林堂を退社したガロの編集者、高野慎三氏が、刊行した雑誌で、菅野修、奏谷夢吉、つげ義春、つげ忠男などの先生方が筆を握り、面白主義以前のガロの匂いを持ち合わせた雑誌です。

 78年7月号からは、権藤晋(高野慎三)氏が、石子順造氏、山根貞男氏、梶井純氏と共に刊行していたまんが評論同人誌「漫画主義」を吸収。

「漫画主義」は、67年より刊行。高野氏は当時「ガロ」の編集者であった。権藤晋という別の名義はをりようしたのは、そのためです。




・ギャグ漫画の神様、赤塚不二夫の実験精神「漫画No1」



 同じく72年、赤塚不二夫責任編集として日本社から刊行されたのが「まんがNo1」です。もう創刊号の表紙からして只者ではないこの雑誌のデザインは、横尾忠則氏で、60年代末から70年代初頭のマガジンやサンデーのアングラの雰囲気をまだ引っ張っているようです。

 掲載陣は、高信太郎・原作で佐伯俊男先生が描く「天才ばかぼん」ポルノ版、「ハレンチ学園」のコピーの切り貼りで作られたリミックス、長谷邦夫の「ゴルゴ13」他、古谷三敏、てらやまけいじ、谷岡ヤスジなどの先生方。

 それも赤塚先生の責任編集だったから許されたのか、著作権の問題とかを貫通して、前衛的すぎる紙面を展開した同誌。カルト的に人気をもつも、翌73年には休刊となってしまいます。




・カスタムコミック


 「カスタムコミック」は、79年より刊行された雑誌です。「漫画ゴラク」を発行する日本文芸社から創業者・夜久勉の息子、夜久弘氏によって刊行されました。

 創刊号より、梶原一騎/小島剛夕先生コンビによる「新説柳生十兵衛」が巻頭100ページ!小池一夫先生が北野英明先生と組んだ麻雀まんが「勝負川」、松本零士先生の「新・セクサロイド」など。あっさりとした表紙のわりに、連載陣が硬派です。

 創刊1年目は平綴じ、2年目から中綴じとなり、隔月刊から月刊に移行。前述の作家の他、佐藤まさあき、平田弘史など劇画系の先生方のほか、川崎のぼる、はるき悦巳、赤塚不二夫、石井隆、つげ義春などの先生方も筆を握るも、82年あえなく休刊となってしまいました。

 しかし、この「カスタムコミック」で広げられた夜久弘編集長の人脈は、84年創刊の「コミックばく」へとつながっていきます。



■ 80年代

・トム  80/潮出版社



80年潮出版社から創刊の「コミックトム」は、今回紹介した雑誌の中でも、かなり特殊な雑誌です。そのため、「実験誌」であるかというと、少し微妙なのですが、今回特別に紹介させてください。

 戦後初期「冒険少年」「少年日本」などの雑誌で、小松崎茂先生と山岡荘八先生など絵物語作家の担当編集をしていた池田大作先生。その後、1964年に月刊少年誌「希望の友」、1978年に月刊少年漫画誌「少年ワールド」を創刊した後に、改題創刊されたのが同雑誌です。

 主な掲載作品は、「希望の友」時代からの連載作品である、横山光輝「三国志」、手塚治虫「ブッダ」「ルートヴィヒB」、

「少年ワールド」からの連載作品で、藤子不二雄「T・Pポン」、みなもと太郎「浮雲児たち」。

「コミックトム」に改題されてからは青年まんが色を強め、坂口尚「石の話」や、安彦良和「虹色のトロツキー」、その他青年漫画誌色を強め、星野之宣、諸星大二郎、坂口尚、安彦良和、山岸凉子、坂田靖子、倉多江美といった先生方の、SF・伝奇・歴史漫画など、どこから原稿料が出ていたのかわかりませんが、巨匠の作品を数多く掲載していきました。

 中でも、横山光輝先生の「三国志」は、横山先生後期のライフワーク的作品であると同時に、同誌がその後一度休刊になった後も、98年、横山先生の体調の回復に合わせるようにして、「月刊コミックトムプラス」が創刊されるなど、看板作品であったことが窺えます。

 どこから原稿料が出ていたかは不明ですが、そのどこからか作家の原稿料が湧き出てくる、奇妙なシステム故に「三国志」や「浮雲児たち」といった超長期作品を連載を可能にし、まんが史に少なからぬ影響を与えた同誌。世紀を跨いだ01年に、休刊となっています。

 現在は「WEBコミックトム」が、配信中です。





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